植物学

                         植物学
 続いてキースから植物学の授業の仕方を教わりました。植物学は5年生の授業で行われます。

朝のお祈り
 5年生からお祈りの言葉が変わります。
 このお祈りは5年生~中学2年生までのものです。

 わたしが世界を見るとき、
 太陽が輝き 星がきらめきます。
 世界には鉱物があり、
 植物が生き生きと成長し
 動物が世界を感じながら生きています。
 世界中で人間だけが心を持ち
 その心の中には精神がそなえられています
 わたしが星を見るとき
 その星は私の中で生きます
 神様の精神が太陽の光の中で
 世界のいたるところで
 そして、わたしの心の深みで働いています
 神さま わたしはあなたに祈ります
 わたしが学び働くとき
 力と恵みとが 私の中で育ちますように

 キースがこのお祈りの意味を語ってくれました。
 この祈りは私から始まり世界に飛び込んでいます。太陽や星について語っています。内から始まり外に出てまた内に戻っています。外の世界では鉱物、植物、動物、人間、そして精神的なものに広がっていきます。このお祈りには外側にも内側にも精神的なものを感じることが出来るようにという思いがあります。神が外の世界にも内の世界にもいることを感じることから、自分の中にも力と恵みを感じるように述べられています。力というのは、働くために必要な技能のことです。めぐみというのは無条件の愛、ありのまま受け入れるということです。私に力(働くために必要な技能)が与えられ、めぐみによって自信(自分を信じる)が与えられるように祈っています。

 キースは、学ぶこと、働くという目的のためにこの祈りはとても深い意味が含まれていると述べていました。
また、この祈りの中には、シュタイナー教育のカリキュラムについても知ることが出来ます。

 まず、自分と世界に目をむけ、太陽、星のことが語られています。これは6年生で学びます。世界を太陽系の中でとらえることが出来ます。6年生は鉱物界についても学びます。5年生は植物界を4年生は動物界を学びます。7年生以降は人間について学びます。

 子どもが9歳~10歳ごろになると、自分と外の世界とを区別してとらえられるようになります。そのときから博物学を学びます。
何故、動物界から始めるのかというと、動物は動くもので子どもの身近に存在し関心を持ちやすいものです。それにくらべ石は生き生きとしていません。子どもが石に集中するのは難しいのです。子どもたちは個人的にも動物と接している場合が多いです。「何か動物を家で飼っていますか?」という質問をするとみんな夢中で話し始めますと話していました。

 1年生、2年生までは、昔話やおとぎばなしの中に動物や植物が出てくるお話を聞いたりします。
3年生ではより実践的に学びます。麦の種を植えて育て、製粉して最後にパンを焼くということをするのだそうです。

 植物学を学ぶときも、全体から部分へと学んでいきます。
最初に知的な話を始めるのではなく、「どんな花が好きですか?」「どんな木が好きですか?」という質問をして皆の関心を呼び起こします。
  
 はじめに、太陽と地球が植物とどのような関係にあるのかイメージを膨らませていきます。
 「植物は太陽と地球との間に生きています。私たちは、地球を暖めてくれるすばらしい存在である太陽を持っています。太陽は空気も暖めてくれます。水も温かさの中で動き始めます。水が暖められて蒸気になります。そして雲を作ります。雲が雨となって地球に戻ってきます。太陽は植物たちに栄養を与えてくれます。植物は雨と太陽によって育てられている子どもです。太陽はその植物に茎や葉を与えてくれ、色とりどりの花を咲かせてくれます。根っこだけが土の中に隠れて地球につながっています。」

 このような話をして、植物についてのイメージを子どもに伝えていきます。
そして、実際のバラの花を教室に持ってきて見せます。

 「花が作られるときにがくというものができるんだよ。がくは花と離れず、くっついているんだよ。バラには何枚のがく片がついていますか?
5枚だね。これは他の花や果物とも共通しているんだよ。りんご、さくら、トマト、ナス、イチゴなどもそうだね。5という数字は多くの植物にとって特別の数なんだよ。」

 次の日は、実際のりんごを教室に持ってきて包丁で横半分に切ります。すると星の形の5つの部屋の中に種が入っているのが見えます。子どもたちは感心してそれを眺めます。その後は、りんごを小さく切って皆一切れずつもらって食べます。うれしい一時です。

 「花には花びらがついているね。花全体にも名前がついているんだよ。日本の車にもつけられている名前だよ。そう、カローラていうんだ。カローラは花の冠という意味だよ。」

植物は昆虫たちと仲良しです。
 「ちょうちょと花びらは形が似ているね。植物を見てごらん、植物の種はちょうちょのたまごのようだね。種から茎が出るね。茎は芋虫のようだね。そしてつぼみになる。つぼみはさなぎだよ。そして花が咲く。花はちょうちょと同じようだね。」

 次に、バラの花を絵に描きます。教師が描いたバラの花を黒板に張ります。実際のバラの花を見て描いてもいいし、黒板に張られたバラの花を見て描いてもいいです。
私もキースの描いたバラの花を見て描きました。
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 次に自家受粉、他家受粉を習います。おしべ、めしべなど花の各部分の名前も習います。他家受粉の中には、花粉が風に吹かれて飛んでいくものや昆虫によって運ばれるものがあること。風に吹かれる花粉は乾燥していて、昆虫が運ぶものはべとべとしているということ。めしべを見ることができない植物として、実際のタンポポを見たりしました。
そして、花の各部分の名前の描いた花の絵のスケッチをします。
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 授業中、外へ散歩にも行きました。散歩の途中で、きのこを発見しました。キースは事前にきのこのあるのを発見していました。きのこの頭の部分を持ち帰り白い紙の上に置きました。「こうしておくと不思議なことが起こるのだよ。」と教えてくれました。次の日、きのこの頭の部分をとってみると、白い紙の上にとてもきれいな模様が出来ていました。きのこの胞子が落ちて模様が作られたのだと聞きました。
 
 今まで全体から部分へと進んできましたが、今度はまた全体にもどっていきます。

 キースが「水仙」という詩を朗読してくれました。この詩を作ったのはイギリスの詩人でウイリアム・ワーズワースという人です。
 
        水仙
 谷を越え、丘を越えて空高く流れてゆく
 白い一片の雲のように、私は一人悄然としてさまよっていた。
 すると、全く突如として眼の前に花の群れが
 黄金色に輝く、おびただしい水仙の群れが現れた。
 湖の岸辺に沿い、ゆらゆらと揺れ動き踊っていたのだった。

 夜空にかかる天の川に浮かぶ
 きらめく星の群れのように、水仙は切れ目なく
 入り江を縁取るかのように、はてしもなく、
 延々と一本の線となって続いていた。
 一目見ただけで、ゆうに十万本はあったと思う。
 それがみな顔をあげ、嬉々として踊っていたのだ。

 入り江のさざなみもそれに応じて踊ってはいたが、
 さすがのきらめくさざなみでも、陽気さにかけては水仙にはおよばなかった。
 かくも歓喜にあふれた友だちに迎えられては、
 いやしくも詩人たるもの、陽気にならざるを得なかったのだ。
 私は見た。瞳を凝らして見た。だがこの情景がどれほど豊かな
 恩恵を自分にもたらしたかは、その時には気づかなかった。

 というのは、その後、むなしい思い、寂しい思いに襲われて
 私が長いすに愁然として身を横たえているとき、
 孤独の祝福である我が内なる眼には、しばしば、
 突如このときの情景が鮮やかによみがえるからだ。
 そして、私の心はただひたすら歓喜にうちふるえ、
 水仙の群れと一緒になって踊りだすからだ。

 この詩を作ったワーズワースは花の美しさや自然の美しさを深い言葉で人々に伝えることが出来た人だそうです。子どもたちは、この詩をエポックノートに2ページに渡ってきれいに書き写します。

 詩を教えるときは、教師がまず詩を朗読します。
その後、一行、先生が読み、子どもたちが同じところを唱えます。
二日目もまず教師が詩の全体を読み、その後一行ずつ先生が読み、子どもたちがリピートしていきます。
 慣れてきたら、二行ずつ、3行ずつと増やしていきます。週の最後には、初めから終わりまで先生と一緒に唱えます。二週目の終わりごろには暗誦して言えるように導きます。このくらいの長さの詩は、4週間かけて集中して取り組むのだそうです。日本で教えるときは、日本の詩を取り上げることを進めますということでした。

 次に、「木」について話を移していきます。
「木」についても、詩の朗読がありました。

              「木々」   ジョイス・キースマー
  木々のすばらしさを詩が越えることは決してない。
  腹をすかせた木は、その口を甘くしたたる大地の乳房にあてがう。
  日がな神を見つめ、葉の生い茂るその腕を天に広げて祈る。
  夏には木々は、コマドリの巣を髪に飾り、
  その胸に雪はとどまり、木々は雨と戯れる。
  おろかものの私は詩を書き、神のみが木々を創る。

 ジョイス・キースマーという詩人は第一次世界大戦のとき32歳で亡くなったそうです。

 「木は根が生えているね。たいていの木は、枝が伸びその枝に葉が生い茂っているのと同じ大きさの根が地面の中にあるんだよ。とても安定感があるね。でも、ハワイのような熱帯地方では、やしの木のように背が高い木があるね。それらの木の根はそれほど深くないんだよ。太陽の光がたくさんあたり、上へ上へと伸びて、根っこが追いつけないんだ。だから不安定で台風がくるとすぐに倒れてしまうんだよ。
 根っこが土や岩をつかんでいるんだ。最初に伸びる根っこは太くて硬い、石のようなんだよ。根っこが死んでしまうと土に返るんだよ。木が死ぬと、今度は木を昆虫が支配するんだ。」

 そんな話の後、木には年中緑の葉っぱをつけている常緑樹や、葉が落ちる落葉樹があることを知らせます。そして、外に出て木のスケッチをしました。
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 「木と仲良しの動物や昆虫はたくさんいるね。鳥やリスやさるがそうだね。昆虫では、蜂、カブトムシ、毛虫、アリなどがいるね。」
このように、植物界と動物界の総合作用のイメージを持たせます。

 人間との関係を知らせるときには、下記のようなチュウリップの球根が葉をつけた絵を描き子どもたちに見せます。そしてその絵をさかさまにすると、人間になります。球根のところが頭で、葉のところが手足に見えます。私たちも、植物と共通点があることを伝えます。植物は成長し枯れ新しい芽をだします。人間も同じように成長し老いて死に、そして新しい命をつなげていくことを学びます。
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 植物学を教えるときにはこのように、まず子どもたちのなじみのある花や木からはじめ、菌類、地衣類、藻類、コケ類、シダ類、草というように低次のものから高次のものへ進んでいくのだそうです。


 シュタイナー学校で習う植物学はなんと多彩で豊かな内容なのでしょう。
 私が小学校で習った内容は、花の各部分の名称や植物の種類といった知識のみでした。本当につまらなかったことを覚えています。
 シュタイナーの教授方法は、植物に関する知識だけではなく、植物界はこの世界とどのように関係しているのかということを子どもたちに伝えることをしています。太陽や地球との関係、昆虫や鳥、動物との関係、そして私たち人間との関係を伝えています。そして、「水仙」の詩の朗読を通して、植物は人間に心踊る気持ちを持たせてくれ、沈んだ心を慰めてくれるものであること。「木々」の詩を通して、木のすばらしさを学びます。子どもたちが自分たちと植物が関連しているということが認識できれば生き生きとした感情を持って学ぶことができると思いました。

 シュタイナーは「私たちが行わなければならないことは教科書を捨てることです。今日の教科書に書かれてあることは、植物界、動物界について子どもに伝えるものを何も含んでいない。それらの教科書は大人が植物と動物について知識を得るためにはよいものですが、それらの教科書を学校で使えば、子どもの個性を破壊します。」と述べています。

 このような具体的な教授方法を学ぶのと平行して、「教育の基礎としての一般人間学」を学んでいるのですが、この本の中でシュタイナーは「人間を知育的に教育するならば、その人間に害を与えることになる。」と述べています。
 抽象的な概念は反感と記憶から生まれ、過去のものだというのです。イメージは想像力であって、ファンタジーと好感からやってきます。そして想像する力は、未来に向かって進むものだといいます。イメージ豊かに子どもたちに語りかけるとき、子どもたちは未来に向かって歩んでいくことが出来るのですと。
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by higuchi1108 | 2007-06-01 21:22 | 植物学教授法
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