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にじみ絵の世界

                     水彩画(にじみ絵)
                       色を楽しむ
 

 私がシュタイナー教育を学びたいと思ったのは、オランダのシュタイナー学校の見学がきっかけです。たまたまツアーの通訳をしていた人のご主人がシュタイナー学校の先生をしておられ、オプションで見学させていただくことが出来たのです。訪れたのは放課後で子どもたちは独りもいなかったのですが、教室を見せていただきました。特別に立派な教室でありませんが、部屋の雰囲気がとても居心地がよく暖かさが感じられました。

 その中でも部屋の中に飾られていた子どもたちの絵を見て感銘を受けたのです。日本の子どもたちが描いた絵とまったく違っています。ダイナミックな表現に加えてとても色が美しいのです。その絵には線がなく、色が様々に織り成して新しい色を生み出し、のびのびとした絵が描かれていました。こんな絵を指導しているシュタイナー教育とはどのようなものなのか知りたいと思いました。

 子どもたちの絵はたいてい線から始まります。最初はなぐり書きから始まり、だんだん丸がかけるようになり人間の顔のようなものを描くようになります。やがて、家や車、お花や動物など形が描けるようになると、線で書いた形の中に色を塗っていきます。絵を描く場合まず、形を描いてその中に色を塗るという描き方が普通だと思っていました。

 保育園で子どもに絵を描かせていたとき、2歳児の頃はなぐり書きの時期でどの子もとても楽しんで描いていました。ところが4,5歳ごろになると絵を描くのが嫌いな子どもが出てくるのです。それは、自動車なら自動車らしい形が描けないというところから来ているように思われます。そのものらしく形が描ける子は知的にも発達していて上手だと評価されるのですが、形にならない絵を描いていると、下手だ、あるいは発達が遅れているのではないかいう評価を受けてしまいます。

 子どもたちが描いた絵を壁に並べて飾っていたことがあります。するとどうしても絵を比べて見てしまうのです。「この絵はなかなかうまく描けている。この絵は何を描いているのかわからない下手な絵」と。このような大人の評価に傷ついていた子どもたちがどんなにいたことでしょう。大人でもそのものらしく上手に形が描けないことは絵を描く上でとてもコンプレックスになっているのですから。
そのようにして、絵を描くのが嫌いな子どもを作っていたのですね。

 子どもたちに絵を描かせる場合、「昨日の運動会を思い出して描いてみましょう。」といってテーマを決めて描かせていたこともあります。描ける子どもは、すぐに描き始め、運動会のある場面をそれらしく表現して描いていきますが、いつまでたってもじっとしたまま描こうとしない子が必ずいました。
その子にとって絵を描く時間はどんなにか苦痛だったことでしょう。考えてみれば大人でも「運動会のことを思い出して絵に描いてごらん。」と言われてもすぐには描けるものではありません。

 本来、絵を描いたり、歌をうたったり、楽器を演奏したりする芸術活動はどの子も生き生きと楽しく取り組めるためにあるものだと思うのです。ところが今ではこのような芸術活動は、特別に才能のある選ばれた人のためのものという印象を持ってしまっています。これは教育の場での取り組みの誤りから来ているのではないでしょうか。絵を描いたり歌を歌ったりする中で心を癒し感情を豊かに育むはずの芸術活動が、上手、下手という評価を受け、劣等感に結びつくようなあり方は問題です。教育の目的は、画家や音楽家になることを目指しているわけではないのです。あくまでも、楽器を演奏したり、絵を描くことで豊かな感情を育むことを目指しているのです。

 このような反省から、絵を描かせる場合は保育士が指導するのではなく子どもたちが描きたいように自由に描かせようと試みました。ところが、子どもたちの絵はパターン化してしまい、女の子なら家とお日様とお花の絵、男の子なら迷路や自動車と、ほとんど決まった絵しか描かないという状態になってしまいました。

 ではどうすればいいのか。答えが見出せないまま時を過ごしてきました。
そんなとき、オランダのシュタイナー学校で子どもたちの水彩画を見たのです。
並べて飾ってある絵は、上手、下手という評価などできるような絵ではなく、どの絵も個性的でのびのびと描かれていて、とてもきれいだと思いました。

 このようなわけで、このひびきの村で水彩画を習うことをとても楽しみにしていました。絵の才能があるわけでもなく、日常絵を描いているわけでもない私でも楽しんで絵が描かけるという喜びをぜひ皆さんにお伝えできればと思います。


 では、水彩画とはどんなふうに描くのでしょう。
筆は太目の平筆を使います。絵の具は、植物性の透明の絵の具を使います。赤、黄、青の絵の具を水で薄めそれぞれ小さなビンに入れます。厚めの画用紙を水で浸し画板の上におきます。その上に平筆で描いていきます。紙が濡れているので色がにじみ、赤と黄色が混ざるとオレンジが生まれ、黄色と青が混ざると緑が出来ます。様々な色が生まれ、形が変わり、刻々と絵は変化していきます。

 シュタイナーは、幼児期の子どものお絵かきは、特に課題を設けることはせず自由に描いたり、回りの子どもたちの描いたのを真似て自分でも同じようにしてみたりして色を楽しむということを勧めています。

 線で形を描くのではなく、色を楽しむというのはどういうことでしょうか。シュタイナーは「私たちが線描画を描くときは本質的には死んでいるものを描いていると意識します。これに対して色彩を使って絵を描くとき、色彩の中から生きたものを呼び覚ましています。」といわれます。確かにこの世のあらゆるものは線で出来ているのではありません。境界線が線に見えるだけです。

 線描画は、芸術が発展していくなかで絵の具を用いて絵を描くための必要な準備とみなされてきたのだそうです。まず線で描きそれに色付けするという方法です。しかしシュタイナーは、「イラストレーション的な性質の絵を描くことは重要ではありません。それよりもむしろ色彩を子どもの心に作用させるほうがはるかに大切です。」と述べておられます。できるだけ早く子どもを色彩の世界に親しませるようにと言われるのです。

 このシュタイナーの考え方は、ゲーテの色彩論に基づいているのだそうです。
ゲーテの色彩論をもとにシュタイナーは色彩の本質という講義をしています。この本を買って読んでみましたが難しくてなかなか理解できませんでした。そんな中、ひびきの村で水彩画の指導をしてくださっている「とよさん」からゲーテの色彩論の授業を受けました。

 ゲーテは色彩論の中で「光が単独で色彩を生み出すのではなく、色彩は光と闇が出会う境界において初めて生じる。」と述べています。色彩が生まれるためには光と闇が触れ合わなくてはならないというのです。私はもともと光の中にすべての色が含まれていると思っていました。海の色が青く見えるのは、光の屈折によって青色だけを跳ね返すので青く見えるというふうに学校で習った記憶があります。

 シュタイナーはこのような考え方を、「何故、その人は馬鹿なのか、なぜならその人のすべての利口さを自分の中に呑み込み、馬鹿さだけを外へ投げ返している。」といっています。この考え方を色彩の場合に運用させないで、この論理をもしも別の生活部分に適応させるなら、このような面白い論理がまかり通るようになると。

 光がとても強いとそれが何色であっても白く見えます。逆に光がとても弱いと何色であっても暗くて黒に見えます。
 ゲーテは実験から、白く見える光を弱くしていったらまず黄色が見られることに気がつきました。逆に暗くて何も見えない状態から光を強くしていくと、最初に見られる色は青だということがわかりました。

 これは実際に教室で透明な花瓶に水を入れ、そこにライトを当てて実験してみました。水をにごらせてライトを当てて花瓶の色を見てみると確かに水の色が黄色く見えます。どんどん水の濁りを増していくと、黄色がオレンジに変化していくのがわかりました。

 白から光を弱くしていくと…黄→オレンジ→赤→と変化していきます。
黒から光を少しずつ増していくと…青→水色→緑→黄緑と変化していきます。
赤と青の間に紫ができ色の環ができます。
                                               
             色環

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 「光と闇によって色が出来る」ということは、夕日を見たときに実感しました。ひびきの村から車で15分ほどのところに洞爺湖があるのですが、そこにウインザーホテルという超高級ホテルがあるのです。広々としたロビーにはふかふかのソファーがあり、きれいな外人のお姉さんがピアノとチェロを弾いています。目の前には大きな窓があり洞爺湖が一望できます。ひやかしで来ているにもかかわらず、ただでおいしいジュースまでいただいてしまいました。

 そのホテルの洞爺湖とは反対側のロビーから海に沈む夕日を見たのです。太陽の色は、西の空の高いところにあるときは白に近い色でした。だんだんと西の空に傾いていくと(闇に近づく)、黄色になり、海に沈む前にはオレンジに変化していきました。空の色も太陽に近いところは白に近い色で、太陽から遠ざかると黄色になり、黄緑、青になっていました。「ゲーテの言っていることは本当だった。」と妙に感激したのです。

 大阪にいるときは、こんな美しい夕日を見ることはほとんどなく過ごしていました。自然の色は本当に美しいです。また、刻々と時間が経つにつれて空の色や雲の色が様々に変化していく様は、まさににじみ絵の世界なのです。シュタイナーは子どもたちに、にじみ絵を描くことによってこのような体験をして欲しいと願ったのですね。

 また、色には不思議な力があるのだそうです。
以前、新聞の記事で“色と癒し”という記事を見たことがあります。「色は心に働きかける。色のメッセージを知り、生活に取り入れることで、リラックスしたり、仕事の能率を上げたり、人とのあつれきを減らしたり出来ます。」と書かれてありました。赤は「活動的」「怒り」、青は「平静さ」「悲しみ」などを表します。確かに謝罪するようなときに、ピンクや赤の服を着ていくと相手にひんしゅくをかってしまいますね。そんなときは、青の服がいいのだそうです。
 黄色は明朗快活、オレンジは暖かい感じ、朱色はエネルギーが感じられます。緑色を見ると心が落ち着きます。

 かって私たちは、自然の中の様々な色と共に生活してきました。しかし今の都会の生活にはそれがもう出来なくなっています。色が人の心の糧となることが少なくなっているからには、色との意識的な付き合いが欠かせないと思います。  

 幼いときから色に親しむこと、様々な色との出会いを体験させることの大切さを思います。にじみ絵は保育の中にぜひ取り入れたい活動だと思いました。何よりもにじみ絵は、子どもたちに絵を描く楽しみを与えてくれると思います。
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by higuchi1108 | 2006-12-03 15:58 | 芸術表現

水彩画(にじみ絵の世界)

大人のためのにじみ絵
 幼児の時は、ただ3つの色を好きに画用紙の上ににじませて色を楽しむだけなのですが、小学校へ行くようになるとだんだん課題のある絵を描くように指導するのだそうです。シュタイナー学校の1年生は、3つの色(赤、黄、青)を使って雰囲気を描き、まだ細部は描きません。2年生になると、色から動物が現れるように描くようにします。4年生になってやっと輪郭がはっきりしてきます。7年生でベールペインティング(色を乾かしながら重ねていく画法)を習い、遠近法を習います。


 大人が楽しむためには、遠近法を知っていると便利だと思います。
遠近法をインターネットで調べてもらいました。

(志村勲の写真論と世界の写真家のホームページから)
ttp://homepage2.nifty.com/photocell/enkin4.html参照

 それによると、遠近法の目的は、奥行きとか上下とか前後を理解させることなのだそうです。これは言葉を変えると立体ということです。平面の上で立体を描くのは根本的に無理があります。これは手品と同じなのだと書かれてありました。

 西洋の近代遠近法はルネッサンスごろに完成されたのだそうです。

 まずルネッサンス以前の遠近法は、
1、心理遠近法
 紙の上に何かの形を描いただけでその後ろに背景があると納得できます。日本の国旗を思い描いてください。赤い円が白地の上にあるように見えるはずです。白地の下にあるとは感じません。

2、重なりの遠近法
 たとえば円形を少しずらして重ねて描きます。次に重なった部分を消します。すると消された方が奥にあると納得し、消さなかった方は前にあると納得します。

3、グラデーション遠近法
 たとえば円形を描き、中心点から遠くなるにしたがって濃く塗っていきます。すると円は球体に見えます。

4、鳥瞰図(ちょうかんず)遠近法
 紙の上に横線を引き、水平線とみなします。線の下に同じ大きさの船を描くと、線に近いほうが遠く見えます。

5、大小遠近法
 同じものを大きさを変えて描くと、小さく描いたものは遠く、大きく描いたものは近くに見えます。

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ルネッサンス以降の西洋遠近法
6、幾何学遠近法
 遠いものは縮小して見える原理によるものです。壁など、本当は平行なものを故意に平行でなく描き、無限で交差させ消滅させます。

7、空気遠近法
 対象の手前にある空気を強く意識させ、対象が遠くにあるように思わせる方法です。具体的には遠方の対象をかすませたり、青みがかって描きます。

8、消失遠近法
 遠いものはぼんやり見える原理にもとづく遠近法です。写真などで背景をぼかすと人物が浮き上がって見えるようになる原理と同じです。

9、色彩遠近法
 暖色と寒色を並べると、暖色が前進して見え、寒色は後退して見えます。

東洋の遠近法
10、墨絵遠近法
(水墨画の教え)
 ・墨はうすくしなさい。
 ・遠い山は小さくかすんで描きなさい。
 ・近景は岩などを強い線で描き、凹凸をつけなさい。
 ・中景の山は上部をはっきりと、下のほうは水蒸気にかすんだように描きなさい。
 ・滝から流れでる川は、遠くは川幅を狭く、近づくにつれて川幅を広くかきなさい。
 ・空に飛び去る鳥の群れは、前方を大きく後方を小さく縮小して描きなさい。

 これらの遠近法の中でも、シュタイナーやゲーテは色彩遠近法を提唱しました。

色彩遠近法とは
 緑の中に赤、肌色、青を描くと、赤は前に出て見え、青は後ろに退いて見えます。肌色は同じ面に見えます。色彩が備えているこのような近い感じ、遠い感じが色彩遠近法の基本なんのだそうです。

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(色で光を描く)
 次に、ゲーテの色環を思い出してください。
白に近い強い光から光がだんだん弱くなると…黄色→オレンジ→赤→紫→青に変わります。
暗闇から光がだんだん強くなると…青→緑→黄緑→黄色に変わります。

ゲーテの色彩論をホームページで調べてもらいました。
http://maijar.org/sugoi/column/text/giworamu/text2.html参照

 ゲーテの色彩論をかいつまんで書いてある箇所を引用してみると
 ・白とはまぶしくて色が見分けられないこと。
 ・まぶしい光が暗くなったときに最初に見える色は黄色。
 ・黒とは暗くて色が見分けられないこと。
 ・暗い光が明るくなったときに最初に見える色は青。
 ・灰色とは、色が交じり合って見分けられないこと。
 ・色環の向かい合う色同士は引き立てあう。
 ・色環の隣り合う色はなじみ合う。
 ・赤にはプラスのイメージがある。(前に出ている感じ)
 ・緑にはマイナスのイメージがある(奥まっている感じ)
                                  とあります。
 

 印象派の画家でベルト・モリゾの「読書する少女」という絵の解説がかかれてありました。

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 少女の髪と肌は強く光が当たる白から、黄色、若干の緑を含みながら赤から紫に変化します。服も、白から黄色、若干の赤を含みながら緑→水色→青と塗られています。
バックの観葉植物も白→黄色→緑→青と塗り分けられています。印象派は色環をぐるりと囲むように色を使っています。こうすることでただ光が感じられるだけではなく、色同士がなじむのです。そして、手前に見せたいものほど赤を多く使って、奥まって見せたいものほど緑を多く使って、奥行きを出そうとしています。特に緑系の観葉植物の前に赤系の少女の顔を置くことで、少女の顔が引き立てられています。

 まさにゲーテの色彩論に当てはまる絵です。

 私がとよさんから習って描いた絵にもこれに当てはまる絵がありました。とよさんは、このことをしっかり意識していたのですね。私の絵を皆さんに公開するのはとても恥ずかしいのですが。どんなに絵心がない人でも描けるということを知ってもらうために…。

(色環の隣り合う色同士はなじみ合う)
 赤紫から出発してぐるりと色環を囲むように色が塗られています。

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 真ん中の黄色から出発して横にオレンジ→赤→紫に進み、反対側は、黄緑→緑→青→紫と塗られています。

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(色環の向かい合う色同士は引き立て合う)
 黄色と青

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(暖色系は前進して見え、寒色系は後退して見える)
 動物が前にいるように見える

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遠近法
(幾何学遠近法)

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(水墨画の心得)
 空に飛び去る鳥は、前方を大きく後方を縮小して描きなさい。

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 最後にシュタイナーの色彩の本質の講義録の中にこのようなことが書かれてありました。

 色彩世界は、地球進化の過程の中で、まず輝きとして宇宙から地球を照らすところから始まったのだそうです。その時、地球はまだ液体状でした。そして冷えて固まっていきました。色彩をまず流動状から固体状に移すにじみ絵は、色彩自身が体験してきた定着化の事実が私たちによって再体験できるものだと述べておられます。そのとき初めて色彩を生きることが出来るのですと。
 そしてシュタイナーは次のように語っています。「私たちは、色彩と共に心の生活を営みます。私は黄色を見て喜び、赤色を見て尊厳とまじめさを感じ、青色を見て、優しい、泣き出したくなるような気分になります。画家が色彩と共に生きることを知ったときにのみ、色彩の生命が表現できるのです。色彩と対話することが大切です。色彩が画面の上でどのようにありたいのかを色彩自身に語らせるのです。」と。

 色彩と対話するとはどういうことなのでしょう。周りのことをまだ意識しない幼い子どもは、色であそぶことによって色彩と対話しているのではないかと思います。幼い子どもは色彩と対話することが出来るのです。子どもたちは、にじみ絵を描くとき、最初にゾウやキリンの絵を描こうと思って描いているのではありません。色がにじんでいろいろな形が現れたとき、「うあ、ゾウさんみたい。」「これはキリンさん」というように色彩の中から、色彩と対話することによって様々な形が生まれてくるのです。私たちも、「上手に描きたい」という思いを捨てて、色で遊び、色彩と対話することを目指したいものです。にじみ絵を通して、感情が豊かになり心が癒されるように。
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by higuchi1108 | 2006-12-03 15:41 | 芸術表現