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昔話としつけについて

               タインチェリー氏の幼児教育講座(2)

昔話について
 シュタイナー幼稚園では昔話を聞く時間が毎日あります。昔話を先生が覚え子どもに語って聞かせます。2週間から1ヶ月同じお話を聞かせます。昔話を子どもに聞かせることはどんな意味があるのでしょう。何故、こんなに大切なこととして保育の中に位置付けられているのでしょう。

昔話の知恵
 昔話は文化の中で長く生き続けてきたとても古いお話です。
世界中でそっくりな話があったり、どこか似ているものがあります。自然の描写や行動など地域によって違いがありますが共通の普遍的なものがあります。

昔話の性質
 タインさんは物語には常に知恵、教え、私たちに悟らせるものが含まれているといわれます。
物事はこんな風になされるのですよ。子どもはこのように育てるのですよ。といった教えや習慣や生活の方法、人間の使命について、人間の精神的な発達について、動物との関係などを教えてくれます。

 ほとんどのお話は人間の意識の進化をあらわしているのだそうです。
かっての人間は夢見る意識状態でした。

巨人が出てくるお話では
 巨人は大きくて力がありますが明確な思考は出来ません。巨人は肉体は発達していますが意識は眠っている状態です。

次の段階に登場する人物は
 何かを感じることができます。善悪やモラル。愛や同情の気持ちを持つことができます。

その次には現在の意識があらわれます。
 悟性的、知的なものが生まれるのです。
たとえば、いさましいちびの仕立て屋の話などは体は小さいけれど賢さをもった人間です。
司祭さんやお坊さんがでてきて、人間はどのように生きていくのかを教えてくれます。

このように、たくさんの昔話の中に人間の意識の変遷が見られるのです。

また、昔話には人が成長していく道が語られます。
 まだ大人に成長していない王子様や若者、年下の息子などが家を出て旅に出ます。旅の中でお姫様を助けたり、宝物を探したりします。そのお話の中で必ず主人公は様々な障害物や困難に出会います。たいていその困難は3つあるのです。主人公は障害物や困難を乗り越え悪を征服します。最後には幸せに暮らすというハッピーエンドで終わります。

 タインさんは、昔話に出てくる様々な登場人物はあるタイプを代表するような本質を持ったキャラクターが出てくるといわれます。これはどの文化にも見られるものなのだそうです。

お姫さま…魂(感情)をあらわしています
王子様…自我をあらわしています。
 王子様がお姫様を助ける旅に出て困難を乗り越えてめでたく結婚するというお話は、自我と魂(感情)が一体になるということなのだそうです。自我と魂(感情)の調和が取れることを意味するのです。

王様、お父さん、おじいさん…強い自我。過去の知恵をあらわしています。
 賢い王様が若い王子に知恵を授けるというお話がたくさんあります。

母、おきさき、おばあさん…女性の魂をあらわしています。

魔法つかい、まま母、魔女…母というものの否定的な側面をあらわしています。
 母は自愛にとんだ優しさがある反面、否定的、破壊的な側面を持っています。たとえば、息子を溺愛し自律しようとする力を奪ってしまうというのは母性愛の不の部分です。

赤ちゃん、小さな人…未来や知恵をあらわしています。

仕立て屋…思考ができる能力を持っている人物です。

天使…人間を見守ってくれます。

 タインさんは、語り手はこれらのことを参考にしてお話の意味が読み取れるようになることが大事だといわれます。自分でその意味を探し出していくことが大切なのです。

 子どもたちは、ただお話を聞きます。そのときイメージを受け取ります。物語に含まれている過去の知恵を受け取るのです。そのことを通して子どもたちに深い安心を与えることが出来るのですと。

 シュタイナーは、子どもの心を荒廃させないためには、昔話を毎日聞かせてあげることが大切だと考えました。昔話は人間存在そのものについて何か根源的なものをあらわしているというのです。

 シュタイナーは、「さまざまな昔話に表現されているのは、人間が人生の特定の状況の中で遭遇するものでも人間の限られた体験領域の中にあるものでもないのです。それは人間の魂が持つ体験の中でもっとも奥深いもの、すべての人間にとって普遍的なものなのです。人間はそれを7歳までの子どもであれ、中年の人間であれ、あるいは老人になっていようと、同じように体験します。そのような体験を自由に、往々にして軽やかに、イメージ豊かに表現しているのが昔話なのです。」と述べています。メルヘンはかっては大人のためのものだったそうです。

 私たちが、色々な食べ物を食べて体の栄養を取っているように、昔話は心の栄養となるのです。

 また、「昔話はこころの診察室」という本を書いた矢吹省司氏は、その本の中で次のように書いておられます。

 「幼い子どもは無垢である。それだけに環境の色に染まりやすい。だから、人生の明るい面だけに触れていれば、明るい人間に育つ。という誤解がある。事実を言えば、子どもの心は純白ではない。また、傍目に見るほどのんきにのんびり生きているわけでもない。それどころが、自分の気持ちをうまくごまかせないだけに、しばしば強烈な苦痛をナマのまま味わう。死の恐怖、一人ぼっちのさびしさ、分離、不安、不信、罪悪感、劣等感、屈辱、嫉妬、怨みーこれらの不快な感情が彼らの内部で渦巻くことになる。昔話は、そういう内面の「現実」を物語ることで、不快な感情の解放をもたらす。昔話に癒しの効果があるのは、そのせいである。」と。

 昔話には、とても残虐なお話が出てきます。かちかち山の狸は、ばあさまを杵で打ち殺し、ばば汁を作ったりします。グリム童話にもたくさんの残虐な場面があります。けれどもそれをディズニーのお話のように美しいところだけをとって、残虐な場面を書きかえてしまったら昔話の持つ叡智がなくなってしまいます。もちろん癒しもなくなります。

 昔話を語るときは、どんな場面でも抑揚をつけるのではなく淡々と語るのがいいそうです。昔話をそのまま映像にしたらとても怖いですね。だから語り聞かせるのですね。 

 深い叡智をもった昔話を語り聞かせることは、子どもたちの心の栄養になり、心を癒してくれるものなのですね。



しつけについて
 しつけとは何なんでしょう?
 して欲しいことを子どもにさせる。して欲しくないことを子どもにさせない。ということでしょうか。無理やりにもそのことをさせるという意味もあるように思います。そのことをしなかったら罰を与えるとか、「やりなさいと言ったでしょ。」と物質的な力でさせようとします。昔はむちでたたいたりしていました。文明化された国では体罰は法律で禁止されるようになりましたが。
しかし、手出しはしないけれど精神的な面で同じようなことをしていないでしょうか。「お前みたいな子は…」と口でののしったりします。
それをやらないなら何もしてやらないとか、あなたとは口を利きませんとか食事を与えないということもあります。
子どもに虐待をして捕まった親の多くは「しつけのつもりでやった。」と供述しています。子どもにしつける方法は、一歩まちがえると虐待に陥ってしまうのですね。

 このようなやり方は、結果的に良いものを残しません。
タインさんは、子どもを育てるとは子どもの成長を助けることです。このようなやり方は子どもの成長を逆に妨げ、良くない性質をもたらすといわれます。

ではどのようにしつければいいのでしょう。
 しつけは、すべてのことを子どもの発達段階で見ていくことが大事だといわれます。

それは「創造的なしつけ」といわれます。
 これは年齢に応じたしつけ方のことをいいます。子どもをしつける場合、その子がどんな発達段階にあるかを見なければなりません。

たとえば、食事の場面では
 1歳の子どもなら食べ物をなげても許されます。
 3歳では許されません。
 4歳ではなんとひどい。しつけがなってないといわれます。
 5,6歳になればきっちり座って上手に食べるように求められます。

 子どもがその場所にそぐわないことをするのは、その子が悪いのではなく、この場所ではこうするのよということを教えていないからだと考えるのです。

創造的なしつけの具体的な方法は
(肉体的、物質的な行動)
物を壊した場合
 たたくのではなく、その子を抱き上げてその場から連れ去ります。
おもちゃの取り合いが起こり自分たちで解決できないとき
 「二人で仲良く遊べるようになるまではこのおもちゃはあずかっておきます。」と言っておもちゃを取り上げて、手の届かないところに持っていきます。

 6歳までの子どもには言葉は最小限度にとどめます。
くどくどと説教するのではなく(知的な部分に働きかけるのではなく)肉体行動を通して働きかけます。

して欲しくないときは、取り上げます。
して欲しいときは、私たちがそれを見せます。子どもはいつも大人を見ているので、して欲しいことがあればそれをしてみせるのです。

手本を見せることは最も大切な小さい子どもの教育の道具。

3歳児になるとお話を使います
 子どもがふさわしくないことをした場合、それはこうこうだからだめというのではなく短いお話をします。
 たとえば、食べるのが早い子の場合には、「さっちゃんはいつもご飯をあまり噛まないで呑み込むように早く食べます。するとある日とてもお腹が痛くなりました。」というようなお話を作って子どもに聞かせます。お話の最後にはかならずよくなって終わります。
 また、道路に子どもが飛び出してしまった場合には、「よしおくんは、おかあさんからだめよといわれていたのに、道路に飛び出してしまって車にひかれそうになりました。でも最後にはイヌがきて助けてくれました。」という風なお話をします。

 5歳になると言葉を使って語りかけることが出来きるようになります。
ピクチャーランドリーといいます。たとえば、手洗いの順番がぐちゃぐちゃになった場合「はい、一列に並んで。」という言葉は使わずに、「ここに電線があります。そこに小鳥が止まっています。この小鳥さん電線から落っこちたね。この小鳥さんを電線に止まらせてあげなくちゃ。」というふうに話します。子どもにイメージを持たせるのですね。
「さー立って円を作りましょう。」ではなく、「きれいな指輪をつくりましょう。」と言ったりします。

 7歳ぐらいになると普通の言葉を使うことが出来るようになります。
けれでも、簡単にいうことが大事です。「手を洗いなさい。」だけでいいのです。「手を洗わないとばい菌が…」と言わないのです。「お願いだから手を洗って」と頼む必要もありません。

 タインさんは、常に繰り返すことが大切ですといいます。同じ言葉を同じ状況のときに同じように言うのです。歌をうたうように言うこともあります。シュタイナー幼稚園では、手を洗うとき、お片づけのとき、手をつなぐとき、食事のときなど色々な場面でメロディーをつけて歌うように子どもに知らせていました。

「創造的なしつけ」…確かにいい方法ですが、こんなにうまくいくものなのでしょうか。現実はそうはいかないことも多いと思います。大人の側の心身がとても疲れている時など、して欲しくないことをされたらついカッとなってしまうのも事実です。やさしく言っても知らん顔をされてちっとも言うことを聞いてくれない場合もあります。
たとえば、もう寝る時間なのにいつまでも遊んでいるとか、公園で遊んでいてもう帰る時間だというのに帰ろうとしなかったりなど、遊びをやめさせて次の行動に移らせるときがとても難しいですね。
 タインさんは、大人の中に迷いがあるとだめだといわれます。「もう少し遊ばせてあげようかな。」と一瞬でも思ったら子どもは大人の心を見透かしてしまうと。今日はいいけど、明日はだめというのも一貫性がありません。
タインさんは大人の中にしっかりとした確信があると子どもはそれに従うといいきっておられました。
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by higuchi1108 | 2008-03-31 13:20 | 幼児教育講座