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12の感覚を学ぶ

3 上位感覚 

 聴覚、言語感覚、思考感覚、自我感覚の4つです。この上位感覚は、精神的な、あるいは社会的な感覚といわれています。私たちがこの社会で人と交わるときに使うものです。

9、聴覚
 何かを聞くとき耳が関係します。聞く器官は耳です。
音が出るためには硬さが必要です。大地に属したものが大地からとりだされて、空中に浮いた状態でぶつかり合う時、きれいな音が出ます。音が出るとき空気中に振動が起こります。その振動が耳に伝わり音として認識するのです。

 耳の器官の外耳はメガホンの役割です。耳の奥(内耳)に、三半規管があり蝸牛があります。この部分で音を認識するのですが、ここで物質的な音を精神的な音に変えるのだそうです。
精神的な音とはどういうことなのでしょう。音楽のメロディーについて考えてみます。音楽のメロディーを聞くことができるのは、音と音の間を聞いているからメロディーになるのであって、一つ一つの音だけを取り出していたのでは私たちは音楽を楽しむことはできません。これはドの音だ、これはミの音というふうには考えません。私たちは、聞いた音をいったん消します。聞いた物質的な音(ド、レ、ミ)をいったん消し去って精神的な音(メロディーを聞くということ)に変容するのです。

 音楽は、深いところで私たちに影響を与えるといわれます。音楽は私たちの心を豊かにし心にバランスをもたらします。しかし、また、音楽は一歩間違えると悪い力を人に及ぼす場合もあります。音楽のもつ力を利用して疲弊のきわみにある兵隊をさらに行進させることも出来るのです。

 また、録音された音楽には、演奏する人の精神が含まれません。精神は録音することが出来ないのです。そこには物質的な音を精神的な音に変容させるというプロセスが半分しか機能しません。演奏する人の精神はいつも生きていて動いていているものなので、CDやカセットなどの機械音では精神が入ることは出来ないのです。シュタイナー教育では、マイクを通して生徒に話しをしたり、CDの音楽を聞かせたりしないと聞きます。音楽家のように上手に演奏できなくても、教師自身が、楽器を弾き、歌をうたい、語りかけることが大切とされています。

 本当に聞き入るために欠かすことが出来ない前提条件として「静けさ」があります。今の私たちの生活に静けさが無くなっています。
ズスマン氏は、人間の耳は馬のように自在に動かすことができません。馬が自在に耳を動かすことが出来るのは、耳を澄まして聞くことができないからです。まさに、人間は耳を澄まして聞くために耳を動かす能力を捨てたのです。と述べておられました。今の子どもたちは耳を澄まして聞くということが苦手になっています。見ているわけでもないのにテレビの音がずっと聞こえていたりします。絶えずいろいろな音が聞こえる環境では「耳を澄ます」ことができません。耳を澄まして聞くためには「静けさ」が必要です。日常の生活の中に、静かに鳥の声や風の音に耳を澄ますような余裕を持ちたいものです。そのことを通して、人の話も耳を澄まして聞くことができるようになると思います。

10、言語感覚
 聴覚では、その人が言っていることを理解することは出来ません。言葉の意味は言語感覚を通して理解できます。

音楽を聞くのと言葉を聞くのとでは違いがあるといいます。言葉には音楽的な要素がないのです。

 私たちは文書を作り出すことは出来ますが言葉を作り出すことは出来ません。生きている言葉は作ることが出来ません。日本にも昔から「言霊」という言葉がありますがそんなに簡単に人間が作れるようなものではないのですね。世界の共通語を作ろうとヨーロッパでエスペランド語というものを作ったそうですが、普及しなかったと聞きます。その言葉は生きた言葉ではなく約束事の集大成でしかなかったからだとタインさんは述べておられました。

運動感覚が発達して言語感覚になります。
 小さい子どもは動くことで言葉を覚えます。あまり動かない子どもは、話すことに困難を抱えている場合が多いのです。小さい子どもは動きでうれしいとか悲しいといった感情を表します。それが言葉の母音になります。感情以外のもの、たとえば物を指差すとかという動きは子音になります。

 聴覚には音楽を聞き取る感覚と言葉を聞き取る感覚があるのだそうです。言葉を理解するためには、音楽的な要素をすべて消し去らなければなりません。音楽的な要素を消し去って言葉だけを取り出し、その言葉の意味を理解するのが言語感覚です。そこには「消し去る」という犠牲的な要素があります。他者が言っていることを理解するために犠牲を払うのです。

《言語感覚の妨げになるもの》
 最近では、テレビの影響がとても強いです。テレビの画面で人はひっきりなしに意味のない言葉をしゃべり続けます。メールや携帯電話などが普及し、人と人が対面してしゃべることが少なくなってきています。対面してしゃべらないので動きがありません。

《言語感覚を発達させるには》
 物語や詩を語って聞かせること。わらべ歌を聞かせる。先生や周りの大人の声が生き生きとしたものであること。自分の感情を身振りをつけて表す演劇も大切です。早口言葉も有効です。


11、思考感覚
 思考感覚は、他者の話す言葉の背後にある意味を理解するものです。

 私たちは、自分の考えを言葉を通してしかあらすことは出来ません。しかし言葉を通してあらわしてもまったく正確にあらわすことはできません。
何故完璧に言葉を通して自分の考えをあらわすことが出来ないのでしょうか。タインさんは、言葉は物質的なものだから出来ないのだといいます。思考は精神(内的なもの)に属しています。思考や理念というのは言葉ではない内的なものです。

相手が話していることを理解するプロセスは
 まず、空気中の振動から伝わってきた音を聞きます。聞いたものの中から音楽的なものを消し去り、言語的なものだけを取り出します。このとき言語感覚が働きます。次に言葉の背後の考えを理解するには言葉を消し去らなければなりません。言葉をいったん消し去って、相手の言おうとしていることを理解するのです。

思考感覚は、生命感覚を通して発達します。
 生命感覚は自分の体調がいいか悪いかを判断する感覚です。他者の考えを理解するためには、自分自身の考えをいったん消さなければなりません。
自分自身を生命感覚を通してしっかり持つこと。その後で自分自身を犠牲にして、他者の考えを理解するのです。自分自身がしっかりないと自分を消し去ることはできません。自分自身を感じる感覚を犠牲にして他者の考えを理解するのです。

《思考感覚の妨げになるもの》
 ・あまりにも早い時期に読み書きを覚えること。
 ・大人たちが、意味のない話をずっとし続けること。
 ・家でも学校でも、あらゆることに指示されること。

《思考感覚が育たなかったとき》
 ・他者の考えに依存し、自分の考えが持てない。
 ・固定観念を持ちやすい。
 ・物事に執着する。
 ・嘘をつく。

《思考感覚を育てるには》
 思考感覚は生命感覚と結びついているので、生命感覚を養うことによって育てることができます。
 ・自然のなかであそぶ。
 ・リズムのある生活をする。
 ・昔話を語り聞かせる。
 ・なぞなぞあそびをする。

 他者を理解するこの思考感覚は、社会的な生活を営む上で重要な感覚です。


12、自我感覚
  自我感覚は自分の自我を感じる感覚ではなく、他者の自我を感じる感覚です。

 聴覚で音を聞きます。言語感覚で音楽的な要素を消し去り言葉を理解します。
思考感覚で、言葉の背後にある意味を理解します。しかし、思考感覚では、その人の本質はわかりません。自我感覚を通してその人の本質が分かるのです。

 自我感覚は触覚を通して発達します。
触覚を通して他者と自分との境界を感じます。外との境界は皮膚です。内側で安心していられるのは境界が硬いからです。内側で安心しているときは外と接触を持ちません。他者を理解したいときはその境界を出ないといけません。自分を犠牲にするのです。そのためには触覚が育っていなければなりません。触覚を通して安心感を身につけ、そして自分を差し出すのです。自分を消し去って相手の中に入りこみ一体となることで相手の本質を理解するのです。

 タインさんは、この自我感覚は私たちにとって、もっとも未発達なものですと述べておられました。精神的成長は困難なものです。私たちは修練していく必要があるのですと。

 この上位感覚を学び、上位感覚を育てるためには下位感覚が土台となっていることを知りました。他者のことを理解するためには下位感覚がしっかり育っていないと上位感覚を育てることがとても困難なのです。

 神戸で小学生を殺した少年のことを思い出します。彼は留置場で、「自分は透明人間だ。私は存在していないと感じる。」と言ったそうです。「自分はここにいる。」ということが分かるのは触覚の力です。彼は触覚が未発達だったのですね。そのため、自分のことも他人のことも理解することが出来ませんでした。いつも不安で、恐怖におののき、孤独で、幸せと感じることがなかったのです。

 下位感覚が成熟していく時期は0歳~7歳です。この時期の子どもの感覚の育ちがどんなに大切なものか実感しました。今、人との関係を作るのが苦手な人や他人を理解することが困難な人が増えているのも、この下位感覚が十分育ちきれていないことが原因なのかも知れません。今のようにテクノロジーが発達した社会では意識して育てようとしないかぎり、すべての感覚は正常に発達しないことを痛感しました。家庭や保育の場で感覚を育てることに意識を向けて、育児や保育に取り組まなければならないと強く思いました。

 タインさんの講座のあと、引き続いてリサ・ロメロ氏の講義があり12感覚をもう一度聞くことができました。その中でも12感覚はそれぞれ育つ時期があるということです。タインさんから下位感覚(意思の感覚)は0歳~7歳、中位感覚(感情の感覚)は7歳~14歳、上位感覚(思考の感覚)は14歳~21歳に育つことは伝えられていました。今回、リサさんからは、もっと詳しく一つ一つの感覚が成熟する時期を教わりました。それは次のようなものです。
 ・触覚 … 0歳~2,3歳
 ・生命感覚…2,3歳~4歳
 ・運動感覚…4歳~5,6歳
 ・平衡感覚…5,6歳~7歳
 ・嗅覚  …7歳~8歳
 ・味覚 … 8歳~9歳
 ・視覚 … 9歳~14歳
 ・熱感覚… 14歳~16歳
 ・聴覚、言語感覚、思考感覚、自我感覚…16歳~

 触覚は、生まれてから2,3年で成熟します。
 自分自身で境界線を確かめられるようになるまで周りの大人が触ってあげる必要があるといいます。確かに触覚が成熟する頃、手足が長くなり全身を触ることが出来るようになります。また、お母さんから少し離れて外へ出て行くこともできます。また、自我が生まれてきて反抗するようにもなります。触覚が育つと自分を認識することができ自我が育つのですね。

生命感覚は、4歳ごろ成熟します。
 それまでは、子どもは体のどこの部分が痛いのか分からないのです。お腹が痛いという場合でも体全体が痛く感じるそうです。4歳ぐらいまでは、大人がどこが具合が悪いのか見極めてあげることが大切です。

運動感覚は、5,6歳ごろ成熟します。
 この頃、体の動きをコントロールできるようになります。5歳ごろになるまでは、走り出したら止まらないということがよくあります。まだ自分の動きをコントロールできないということを分かってあげる必要があります。

平衡感覚は、7歳ごろ成熟します。
 子どもが補助なし自転車に乗れるようになるとバランス感覚が統合されたといわれます。まだ準備ができていないのに、早くから様々な運動をさせるようなことは避けるようにしなければなりません。

 味覚は、 9歳ごろ成熟します。
 9歳ごろまでは好きな味が狭く、9歳を過ぎると楽しめる味覚が広がります。小さい子どもがあまり食べないと心配する必要はありません。無理に「食べなさい」と押し付けないで、まだ発達している時期だからと思って下さいとのことでした。

 嗅覚は、 8歳ごろ成熟します。
 悪い匂い、いい匂いを正確に感じるようになります。8歳以前は、まだその匂いがどんな匂いなのか見分けることができません。8歳ぐらいまでは、できるだけ自然な匂いを嗅げるように、あまり刺激の強い人工的な香りを嗅がないように気をつけます。

 味覚は、 9歳ごろに成熟します。
 9歳までは大人が必要な食べ物を与える必要があります。

 視覚は、 12歳ごろ成熟します。
 視覚の発達に一番悪いのはテレビです。眼科手術の後、眼球を動かさないようにするには、眼帯をするよりもテレビを見ることの方が効果があるといわれているそうです。まだ、視覚の発達の途中にある子どもにテレビを見せることは、眼球を動かさないようにしていることなのですと。

 熱感覚は、 14歳ごろ成熟します。
 それまでは自分にどれだけの暖かさが必要なのか分からないそうです。今では早い時期から何を着るのか子どもが決めています。4,5歳ぐらいまでは大人が気をつけてあげないと熱感覚を発達させることが難しくなるそうです。
 私が保育園に勤めている頃、子どもに薄着をさせることで丈夫な子どもに育つといわれていました。冬でも半袖、裸足という子どもが元気の印と薄着を奨励していました。また、寒くなったら自分で着ることを覚えなければと子どもに任せていたこともあります。リサさんは、子どもが薄着でも平気なのは熱感覚で感じているのではなく生命感覚で感じているからだといわれます。寒くないというのは慣れているからで、自分が馴染んでいることに心地よく感じているのだそうです。大人になって女性が生殖器の病気になるのは冷えが原因でなることが多いとのことです。特に冬の服装に関しては大人が気をつけてあげなければいけません。

聴覚は、16歳ごろ成熟します。
 16歳ごろになると、自分の好みの音楽にこだわり始めます。10歳ごろに特定の音楽にこだわるのは、自分の個性からではなく皆に人気があるからという理由が多いとのことです。

言語感覚、思考感覚、自我感覚は、16歳以降発達します。
 とても複雑なことが理解できるようになり、論理的になります。16歳以前は、知的な概念で物事を説明しても、自分の中に取り入れることはできません。青年期になって事実に基づいた真実を教えるべきです。それまでは世界は美しいところということを知らせることが大切だといわれます。

 上位感覚を発達させなければ中位感覚を使うようになるそうです。上位感覚は他者を知る感覚です。「あの人は見るだけでいやだ。」とか「あの人が横にいるだけで寒気がする。」など感情的に他者を見るようになります。思考を使う代わりに感情によって他者を判断するようになるのです。

 最後にリサさんは、この12感覚すべてが「私は私である。」ということを知らせてくれる感覚なのだといいます。成長するにしたがって、私たちは感覚を通して自我を獲得していくのですと。


12感覚を学んで
 文明社会に生活していること、そのものが健全な感覚の成長を妨げていることを痛感しました。だからといって、もう私たちは昔の生活に戻ることはできません。この社会の中で生活しながらどのようにすれば子どもの感覚を助けることができるか考える必要があります。今の子どもたちには感覚を育てる手助けが必要です。感覚に害を及ぼすものを出来るだけ遠ざけるような環境を作ること、感覚を育てるような取り組みを意識して行うことが求められます。

 特に、0歳~7歳で成熟される下位感覚の成長はとても大切です。このことをしっかり自覚して子どもたちに働きかける必要があります。
また、それぞれの感覚には成熟される時期があること、一つ一つの感覚が成熟されるまで大人が手助けしなければならないことを忘れてはなりません。

 感覚が偏ってしまったり、未発達になってしまった場合でも「もうだめだ。」というのではなく、気づいた時点から感覚のバランスを取り戻すような働きかけが出来ることも教わりました。この講座で、家庭や保育の場、学校などで出来る様々な取り組みを学ぶことができました。
また、感覚に働きかける外的な手当も少し学ぶことができました。この方法はまた次の機会に伝えることが出来ればと思っています。なぜなら、この12感覚だけではなく、その子のもつ体質や気質も理解し全体から働きかける必要があるからです。これらのことは、わずかな学びでは到底理解できません。今後の課題としたいと思います。
# by higuchi1108 | 2006-11-04 12:55 | 12感覚

はじめに・ 0歳~7歳までの子どもの心の成長

                0歳~7歳までの心の成長とは?
                  (理解の遅れの本質)
「初期心的現象の世界」という村瀬学著の本を読みました。この本は1981年に発行されたものです。もう20年以上も前の本です。その当時、この本を手にしたとき、本の題名からしてそうですが、聞きなれない難しい言葉がやたら出てくること、わけのわからない図が多いことなど、自分には手におえる本ではないと興味をなくし、ほったらかしにしていた本です。

 村瀬氏は、ハンディキャップを持った子どもの施設で職員として働いておられました。この本は、現役職員として、理解の遅れのある子どもの心身の状況について実際の子どもに即して考察したものです。現在は、同志社女子大学で教鞭をとっておられます。

 何故、今になってこんな本を読んでみようと思ったのかといいますと、
治癒教育家養成講座のレジュメの中に、講師であるバーバラ氏の次のような文章を発見したからです。

「シュタイナーは治癒教育というのは、心における特別な配慮を必要とする子どもたちのためのものだと言っています。」という言葉です。

 この本の著者である村瀬氏は、はしがきのところで、『理解の遅れのある子どもを「症状」としてではなく「心の現象」として理解しようとしました。』と書かれてありました。

 心身にハンディキャップを持つ子どもたちは、脳のどこかに障害があることによって生じるのだとする考えではなく、「心」の問題として取り上げているところが同じなのです。

 村瀬氏は、脳について次のように述べておられます。

脳の発生は、個体が個体として独立性を強めようとしたときに発生を求めることが出来ます。一個体として独立性が少ない有機体には脳は必要ありません。個体として独立性を増すことが脳の形成を促しました。

 有機体には脳があってはじめてやっていける構造と、脳がなくてもやっていける構造があります。有機体には脳の支配のおよばないところで十分有機体として活動している構造があることを理解されなくてはなりません。有機体は個体であると同時に、個体的でない領域を有しているからです。そういう領域は、決して個体支配領域である脳には依存していないのです。

 個体的でない領域とはどんな領域をさすのでしょう。「心」は個体を持ちませんね。

 村瀬氏は、脳は全身のミニチュアであるようなことまで言われていますが、脳に心があると決め付けるのはとんだお笑い草ですと述べておられます。
 脳が司るのはあくまで個別化しうる領域だけに限られます。脳の神経生理だけを調べて有機体の活動や心の構造がわかるという人々は悪しき個体主義者に過ぎません。と

「心の教育」が大きく叫ばれるようになりました。いわゆる健常児と呼ばれる子どもたちの中にも、集団の中でうまく人間関係が築けない子どもたちが増えてきたからです。

以前、勤めていた保育園の子どもたちの中にも、年長児になっても、人の話が聞けない、がまんすることが出来ない、待つことが出来ない、人の気持ちを理解できない、些細なことですぐカッとなる、など心の面での成長が気になる子どもたちが増えていました。

社会や家庭の影響も大きく受けているとは思うのですが、「心の教育」という視点で、保育の現場での保育の方法や環境はどのようにあらねばならないのかずっと模索してきました。

その答えを知りたくてシュタイナー教育(思想)を学ぶようになったのですが、今回この本とシュタイナーの思想がどのように関係しているのかという視点で読んでみようと思います。

また、私が以前勤めていた保育園は積極的にハンディキャップのある子どもを受け入れて共に保育をしていました。
ハンディキャップをもった子を積極的に受け入れるようになったのは今から30年も前のことです。その当時、心身に障がいのある人たちは、家の中に閉じこもり地域社会に出ていくのがとても困難な時代でした。1970年代に入り、障がい児(者)も地域へ出て行こうという運動が起こりました。

その運動団体の一つであるダウン症の親の会の人たちから、保育園で交流の場を作って欲しいという要請を受けました。そのことを受けて、木曜日1日だけの交流会が始まったのです。ところが思いもかけないことが起こりました。在園している保護者からの交流会に対する反対運動でした。反対の理由は、「あんな子たちと一緒にいることによって、今まで出来ていたことができなくなった。」「保育士はあの子達に手を取られ、自分たちの子がほったらかされている。」「あの子が私の子の歯ブラシをなめていた、がまんできない。」「よだれをたらしてきたならしい。」などびっくりするような内容だったのです。親の会の人たちは、保育園での差別を目の当たりにされ非常にショックを受けられました。

「家の中に閉じこもっていたなら自分たちの子どもは理解されない。障がいがあっても社会の中で生活出来るようになるために、積極的に外へ出て行こう。」と決断され、それぞれの地域に戻られ保育所入所運動を起こされました。   市役所前で座り込みをするなど、保育園で受けた差別をエネルギーに必死で訴え、その次の年には保育園の入所が可能になりました。

このような、いきさつからハンディキャップのある子を受け入れて保育をするようになり、保育の目標は「他の子どもたちと共に育つ」ことを目指しました。子どもたちは、大人のような偏見もなく、あるがままの姿を受け入れ、出来ないところを手助けするようなやさしさも育ちました。

ところが、ハンディキャップを持った子どもの保護者の方は、「共に育つ」という観点より、遅れを何とか克服したい、「健常児」に近づきたいという思いが強く、意識のずれをいつも感じてきました。ハンディキャップを持った子は、障がいを少しでも克服し健常者に近づくことが教育の目的になるのでしょうか。発達とは、どのように考えたらいいのでしょうか。

シュタイナーは、このような子どもたちを「魂の保護を求める子どもたち」と呼びました。

今の子どもたちの置かれている現状を見ると、障がいがあるなしに関わらず、すべての子どもに心の保護、「癒し」の教育が必要なのではないかと思います。
この本は、このような疑問にも答えてくれるような気がするのです。

「初期心的現象の世界」
村瀬学 著


心の現象とは、明晰な世界と明晰でない世界を両有しているといわれます。
明晰な世界とは、物事は区別して受け止められ、筋道をつけて理解され、様々に構成されなおす世界です。…著者はこの世界を主観の世界と呼びます。

 不明晰な世界とは、弛緩、入眠、曖昧、混沌といった表現で表していた世界です。…著者はこの世界を類の世界と呼びます。似たものを通して似たものへなろうとする構造を「類」と呼んでいます。

村瀬氏は、一方が無価値であるとか、一方は役に立たつとか、そういう上下、高低の関係ではなく、まったくこの二つは対等な世界だといわれます。

子どもがものわかりがよくなること、それが「善」として追求されることによって、明晰でない心が「悪」として否定的にとらえてしまうという問題があると指摘しています。
 この考えは、西洋の覚醒時中心の考えからきていて、つまり西洋が生んできたのは 覚醒=知性 としての人間像であったとみています。

 弛緩といい、入眠といい、曖昧といい、混沌といったものがほとんど見るべきものがないというのはおかしい。
 弛緩することによって「和らぎ」、眠ることによって「活力」を取り戻し、曖昧であることによってむやみに対立や葛藤を避け平静になりうるのだと述べておられます。

 心の現象には、「類」と「主観」の二つの構造があるのですが、動物の場合は、この二つが分かちがたく一体化しており分化、分立していないのだといわれます。
人間の場合は、最初は一体化していましたが、共同体として発展するようになり、主観性の発達をもたらすようになったといいます。

チンパンジーは、個々の能力のすぐれた発達はあっても、その能力は決して人類の持つような類性をもつ主観性ではありません。

 共同性=多
 個別=1

動物は「多」を「1」に、「1」を「多」に転換する構造がありません。
すなわち主観性とは、共同性と個別を常に持っています。
共同体の発達にともなう共同性の獲得が主観を分立させました。

この「類」「主観」の二つの心の現象はどのように発達し変容していくのでしょう。0歳~6歳半までの乳幼児期の子どもの心の成長を追っていきたいと思います。

乳児期

① 類の発現の時期(0~6ヶ月)
② 主観の発現の時期(6ヶ月~12ヶ月)
③ 類―主観の二重化の時期(12ヶ月~1歳半)

1、類の発現の時期
(0ヶ月~1ヶ月)
人間は動物と比べてとても早産です。ひびきの村の農場で8月に子馬が生まれました。子馬は生まれるとすぐに立ち上がり、お母さん馬のお乳を飲み始めました。それに比べて人間の赤ちゃんは、独り立ちするのに1年もかかります。

人間が早産なのは、人間は個体として存在するだけではなく、個体を越える心の現象として存在する様式を持っているためだと村瀬氏はのべておられます。

生物学者のポルトマンという人も、「人間は、社会的動物であるので、人間が人間であるためには、未熟な状態で生まれてくる必要がある。」と言われています。人間が人間であるとは、基本的には立って歩き、言葉を話し、考えることができるということですが、お母さんのお腹の中ではこれらのことは身につきません。人は、社会的な環境があってはじめて社会性が身につくものだといいます。

狼に育てられた子どもは、立ってあるこことも、話をすることも出来ませんでした。人間に育ててもらわないと人間にはなれないのです。人間からおっぱいを飲ませてもらい、オムツをかえてもらい、話しかけてもらい、一生懸命世話をしてもらうことによって人間になるのです。

また、生後1ヶ月の間に原始反射といわれるものが現れます。物音の方に首を向ける、棒を握らせるとぶら下がる、背を支えるとトントンと歩くなどです。
心の現像をもった新生児が生きていくためには、きわめて個体的であろうとする努力を続けなければならないのです。この原始反応といわれる行為は、人間が後で獲得する予行練習のようなものです。

この時期の子どもは、一日の24時間の内、20時間ほど眠っているようです。その眠りは、小刻みに眠っては目覚めを繰り返しています。緊張(めざめ)と弛緩(眠り)の両極を行ったり来たりしているのです。緊張しすぎると泣き、弛緩すると笑うということが見られます。

(2~3ヶ月)
 ほぼ眠りは眠りとして、目覚めは目覚めとして分化していきます。3ヵ月ごろになってやっと、夜中に起きておっぱいをあげなくてもよくなる時期ですよね。
これは、個であることがまとまりだしたのです。そのことによって、自分は周囲の者に似ているということに気づき始めます。その気づきを踏まえて、自分をその相手に合わせていこうとする心が生まれます。

具体的には次のような姿が見られます。
 お母さんが笑うと笑いかけ、怖い顔をすると真顔になります。これは共鳴動作といわれるもので、主に、目、口、手という体の局部に限られます。

首がすわる
 首がすわるということは、頭部が頭部以下の身体を個体として扱うことができる視点を作り出すもっとも大事な出来事です。

手かざし、指すい
 自分のものになっていない手を自分のものとして受けとめ直している姿です。

発声
 声も生理的な発声を自分の声であるかのように受け止め直しています。

笑い、泣き、怒りがはっきりと現れます。

(4ヶ月~6ヶ月)
 より意図をもった行動が現れてきます。
 対象の発見
  ものを見る→見たものをつかむ→つかんだものを見る
「目と手の協応」と呼ばれてきたものです。見るということは、そこに気をとめるということ。対象として物事を見るということです。

イナイイナイバー
 見えていたものが見えなくなる、また見えるというのは、対象の発見です。

腹ばいー寝返りーお座り
 首がすわり、バラバラに弛緩している胴体、手、足を一つの身体として受け止めることです。

2、主観の発現
(6ヶ月~8ヶ月)
対偶の発見
 母親と他の人を区別して受けとめられるようになります。それは、人に対する意識の高まりとして、対人関係=社会性のあらわれだとされてきましたが、それは社会性ではなく対偶性という特異な心の現象だと村瀬氏は述べておられます。

 社会性とは、あくまでも人間が「多」と「1」の関係のなかであわられる人間関係であり、多に対する1の関係は誰に置き換えられてもかまわないものです。

 対偶性はそうではありません。特定の「1」に対する「1」の関係であり、そこでは簡単に置き換えられない関係が成立しています。

 社会性は相手を他者として別者としたうえで成り立つ関係であり、対偶性は、融合、同体、同着性です。この二つの人間関係(社会性、対偶性)はよって立つ基盤がまったく異質なものです。

 社会性の発生と対偶性の発生とはまったくレベルの違うものであり、決して社会性の二通りの現れ方ではないし、ましてや段階的な移行の現象でもありません。
 対偶性は社会性に移行することなく、乳児から成人するまで、あるいは一生の間その関係は続きます。

 対偶性を求めだすころ、社会性としての対応は受けても同着としての対偶性の体験を受けずに過ごすと、その子にとっての根源的な「不安」を生む可能性があると述べています。

 私自身、保育園に勤めていたころ、乳児保育のあり方をめぐって議論がなされていました。乳児でも6ヶ月を過ぎると、他の子を意識するようになってきます。それが社会性の始まりだと誤解し、乳児から他の子どもとの関わりを重視する集団保育の必要性が論じられていました。これは、母親は外で働くのではなく、家にいて家事育児に専念すべきであるという社会の声に対する反発として現れてきたものだと思います。社会性を身につける集団保育を全面的に肯定するという極論となり対偶性を身につける母子関係絶対論を否定せざる得ない状況から生まれてきたものと思われます。

対偶性の大切さを思えば、乳児保育は否定されるのでしょうか。
しかし、対偶性=母子関係 が唯一ではないはずです。
対偶性の対象は、お父さんであっても、おばさんであっても、保育士であってもいいわけです。
母親に代わって、保育士がその対象になるような保育のあり方を模索していくことが求められるのではないかという考え方もあるはずです。

予見の始まり
 子どもにとって対象の発見があると、次には予見、予測が出てきます。
6ヶ月以前だと、ものを落としても知らん顔をしています。6ヶ月を過ぎるとあったものが消えるという二つの事柄が区別されて受けとめられるようになります。

そり返りーねじりーひとり座り
 この姿勢の特徴は、何かに関心を向け、その関心物に向かおうとする意図がはっきり現れて出てきた姿勢です。

手の動き にぎる→つまむ
 にぎりとつまみは、単なる握り方の発展ではありません。手の構造そのものの変化がともなっています。つまり、子どもの意図が様々に分化し、その結果手が対応せざる得なくなくなったのです。そこで5本の指から二本の指のつまみという構造が分化したのだといわれます。にぎるという動きには、意図が見られませんでしたが、つまむという動きには意図がはっきり現れています。

 「にぎる→つまむ」への移行は単なる地続きの移行ではなく。類的なものから主観的なものへ質的な飛躍の現れの結果なのです。

 この人指し指の分立は、「指差し」の前段階です。

指示の出現
(9ヶ月~12ヶ月)
 この時期になるとオツムテンテンなどの動作を真似ることができるようになります。

 また相手の言うことばの意味が分かりかけ、そのことに応じる行為が出はじめ、さらに言葉を相手に働きかけるものとして使い始めます。

 「パパは?」と聞くとそちらを向く。
 「おいで」というとこちらへくる。
「マンマ」といって自分からご飯を催促する。これは指示性の始まりです。

直立姿勢
 何故人類が二本足で立つようになったか?
村瀬氏は、直立化した姿勢を、重力に逆らって持ち上げつづけている特別な意志への形成だけがそれを可能にしたと述べておられます。他の動物は、上体を直立に持ち上げているだけの意志の形成がないからですと。そしてこの意志は一人の意志や欲望の力では保持しえない共同の意志があって直立姿勢が出現するのだと述べておられます。

立って歩くこと
 大村祐子さんの講義のなかで、立って歩くことは、自分の視点を確保することだと言われていました。重力に逆らって立つことによって、自分の視点を持つことが出来ます。歩けるように練習することは、世界に対して自分の視点を持って自分の立場を自由に獲得するためにしていると。

また、「子どもが3つになるまでに」の著者であるカール・ケーニッヒは、子どもが歩けるようになるためには、単にある種の筋肉運動を自分で制御できるからではなく、意識の目覚めが必要であり、直立歩行は周囲にあるものを外側のものとして、知覚する意識の発達があってこそ可能ですと述べておられます。

直立し、歩行するとは、自分自身を個として認識することなんですね。

カール・ケーニッヒは、1年目の終わり頃には、子どもは自己を把握するが、ハンディキャップのある子どもは、歩行習得することで得られる、自己と世界、身体と周囲との区別がつかないために、そこから起こるはずの意識の点火が見られないと述べておられます。
 
3、類―主観の統一
(12ヶ月~1歳半)
 類―主観の統一を可能にするのが自己の出現です。

自己の発見
 村瀬氏は、鏡や水に写る自分の姿を見て、それが自己意識になっていくといった理解はおかしいと述べられています。自己の発見を促すために「保育室に鏡を置くべきだ」という意見を聞いたことがあります。村瀬氏の論からでは、このことは間違いなのでしょうか。

自己そのものの構造は、その子の個人史の中からは決して明らかにされない。これは人類史が獲得してきた構造であって、決して子どもが周囲のものと関わって獲得するような構造ではないといわれます。
村瀬氏は、人類史が獲得してきた構造とは次のようなものだと述べておられます。

最初は人間も動物が群れを作るように共同体を形成していました。その群れが他の群れとぶつかり合い、争いをおこす時、相手の群れをあたかも一人の人間であるような一者として受け止められる過程ができました。それと同時に、自分の所属する共同体そのものも、ひとかたまりの一者としてみるようになりました。そのために、一人の首長がその代表として選ばれ、その特殊な一者が個人の力を超えた神的な力を持つようになり、共同体から神的な力を与えられることにもつながっていきました。その後、特殊な一者は、共同体=類となり、一人ひとりがその代表される共同体を意識することにより、類という意識を持ちます。

単に、鏡を通して自分の姿を見ただけで、自己や共同性を発見するわけがありません。

自己の発見は、
 幼児が自己意識を形成する過程は、同時に周囲の共同性を自覚する過程として出てきます。
 第1に個別者の発見があり、その次に他者の発見があり、さらに類の発見があり、そして類=主観(自己)の発見につながっていくのです。

この頃の自己のあらわし方は、激しい我の張り出しとして現れます。
 食事を手づかみで食べたがる。
母親が食べさせると拒否する。
自分の行こうとする方向を拒否されると、足をバタバタさせて抵抗する。等

今まで着せ替え人形のように従順だった子どもがとても扱いにくくなる瞬間です。これは「自己を発見したんだ。」と理解することができれば喜ばしいことに変ります。

1歳を過ぎると一語文が現れます。
村瀬氏はこの一語文という言い方はおかしいと言っています。
「ワンワン」という音を、この頃の子どもは、おもちゃの犬、白犬、毛糸で作った犬など一つの語を多義に使います。一つの言葉は、一つの意味だけでなく多様な意味を持って発しており、多義性を持っています。

物には名前があるという事の発見について、
カール・ケーニッヒは、突然、まったく自発的に子どもはものと名前との結びつきを理解すると述べておられます。ある日、突然すべてのものには名前があることに気付きます。この瞬間から子どもの語彙は飛躍的に増えます。子どもは、今や発見者であるばかりでなく征服者でもあります。なぜなら名づけたものは自分のものになり、自分の財産になるからです。と

目も見えず、耳も聞こえなかったヘレン・ケラーがサリバン先生の下で、「水」という言葉を発見したときの話は感動的です。
突然分かるって???どういうことなのでしょう。子どもはどのようにして、言葉の意味を理解するのでしょう。
カール・ケーニッヒの著で、シュタイナーによると、言葉の意味を理解するのは言語感覚と思考感覚によるものだと述べておられます。この感覚論は2学期の授業でしっかり学びたいと思います。

日本の昔話の中に、「大工と鬼六」というお話があります。
大工は、荒れた川に橋をかけてくれと村人から頼まれます。こんな荒れた川に橋を架けることなど出来ないと困り果てていると、鬼が出てきて「お前の代わりに橋を架けてやろう。その代わり目の玉をよこせ」といいます。鬼は大工の代わりに橋を架けます。でも大工は目の玉を取られるのは困ります。そこで鬼は言います。「わしの名前をあててみろ。そしたら目の玉よこさなくてもいいぞ。」大工が「鬼六」と言ったとたん、鬼は川の中に消えていきました。
というお話です。
 子どもたちにこのお話をしてあげると、「鬼六」と名前を当てるところが一番好きです。「鬼を征服した。」という気持ちを持つのでしょうか。昔の人は、ものの名前がわかるということの本質をよく理解していたのですね。

問答
 他者と自己の区別は、問い手と答え手の区別として意識されます。
  お目目はどれ→指を指して示す
 これは相手の言っていることが分り、それに応じられる行動がとれはじめたのです。
# by higuchi1108 | 2006-10-03 21:01 | 子どもの心の成長

(2)1歳半~4歳半までの子どもの心の成長

幼児期
①主観内自己の自覚(1歳半~2歳半)
②類内共同性の自覚(2歳半~4歳半)
規範―自己の抗争(3歳)
③共同性(規範)-主観性(自己)の統一(4歳半~6歳半)

主観性から自己が、類からは共同性が分化して意識されるようになり、やがて共同性の意識と自己の意識が、統一され受け止められるようになります。

1、主観内自己の自覚
自己確定(1歳半)
我をはる
 1歳半までの我のはり方は、選択力のない一方的な主張でしたが、1歳半をすぎると肯定―否定のどちらかを選択する形で現れます。
これは判断力ではありません。同意か異議のどちらかを選択するのがこの時期なのです。
パパがいつも座っているところへママが座ったりするとこの頃の子どもは怒ります。
これはこう決めたものだから変更はきかないという融通がきかないものです。
 いいだしたらきかない。 かんしゃくをおこす。すねる。ふくれる。ひっくり返ってごねる。いつまでも泣いている。など。

そのときの切り替えの方法は?
①強い圧力でその子に他者の意志を押し付けるやり方
強制的な強い意志を見せるとその子はびっくりし、おびえ、その巨大な意志に一気に同意する。

②何らかの新たな選択場所を提供する
靴を履かないでかんしゃくをおこしている子に、2つの靴を見せて「どっちを履く?」と言うとこっちと指さして履くようになる。
この頃のかんしゃくは、1歳半以前の一方的なかんしゃくではなく選択性を含んだものであるので、その選択性に訴えるのです。

②のやり方が理にかなっているのはよくわかりますが、大人の側に気持ちの余裕がないとついつい①のやり方になってしまいますよね。

一者意識
 自分の名前を呼ばれると「はい」と返事をするようになります。これは、一者として自分を意識することのあらわれです。

これは自分のことをOOちゃんと呼ぶことがわかったということではなく、ここではまさに自分を一人の人間として受け止めることができた根本的な現象です。これは同時に他者を一者として受け止められたことを物語っています。

他の子どもの後をついて歩いたり、追いかけっこをして遊んだり、友だちの名前が言えたりします。友だちと追いかけっこをするためには、友だちを一者として意識することが十分できなければなりません。こうして、他者を一者として受け止めることができる中で、自分もまた、一人として受け止めることが始まります。

あそび
 ままごとをして「どうぞ」と言ったり、人形をおぶったり、おもちゃの電話で「もしもし」と言ったりします。
これはそういうモデルが目の前にあってなされる場合もあれば、モデルなしで過去のことを思い出している場合もあります。
 それらに共通していることは、それをまねようとする意図の下にそれがなされるということです。

二語文
 1歳半~2歳ごろになると
  おうち ここ
  もっと ちょうだい
  クック ない
  これ なに 
等の言葉を使うようになります。
これは単に一語が二語になった以上の飛躍的な変化です。と村瀬氏は言われます。これを二語文と呼び二つの語の複合文だとするのはまったくの表面上の解釈ですと。
「OOはOOだ」と一方的に指示してくる内容に対して自己判断として「それは そうだ」とか「そうではないOOだ」という意志の対置のさせ方が「クック ない」という二語として現れてきているのです。

問い
 2歳ごろ「なあに」という問いかけが始まります。
「何」とは代名詞です。これはまさに、指示性の決定を自己の確定として受け止め直す努力そのものになっています。

形を認識する。(代表像の形成―同じ形がわかる)
 2歳ごろになると同じ図柄を見ると「同じ」「いっしょ」と受け止めるようになります。箱のくりぬき穴(パズルボックス)に自分から形を探して入れて遊ぶことができるようになります。これは多くの形の中から○は○、□は□
という同一の形を区別して選ばなければならない遊びです。

 はじめは、似たものを形に合わせるところから、子どもはその経験の中で急に○は○であることに気づきます。つまり、心の中で代表型を作り出し、代表型の相互の区別を立てるようになりはじめたのです。

 この代表像ができると、見立てあそびができるようになります。
ダンボールを自動車に見立てて遊ぶのは、ダンボールが自動車に似ているからではなく、頭の中に作られた代表型を現実(ダンボール)に転化して同じものと見ることができるからです。代表型とは、その対象物の大まかな特徴把握です。代表としての同じ形がわからないと、見立て手遊びはできません。

 私は、この見立て遊びができるようになるのは、想像力によるものだと思っていました。想像力ではなくて代表型が把握されないと見立てあそびにつながらないのですね。

②類内共同性の自覚(2歳半~4歳半)
子どもは、他者を発見した後共同性を発見します。
具体的には、友だち意識=仲間意識としての共同性の発見は4歳半を過ぎないとできません。まだ共同性を一つの対象として受け止めることはできないのです。この時期は、一人ひとりの他者の意志の受け止めができるようになるのです。それは自分もまた、一人ひとりの中の一人として発見することなのです。

自己像と演出
 共同性の発見は、ごっこあそびによって現れます。
ごっこあそびでは、まず、役割の変換が発見されます。役割の変換は、周囲の大人たちが見せる代表型(仕事など)をそれぞれに区別して、そうした立場に自分を置き換えて、それを演じてみせることです。

 ままごとなどで、父、母、赤ちゃんなどの役をとり、そのつもりであそぶというのも、単なる見かけの格好のまねではなく、まさにその役割を演出するというふうにあそびます。これは自分が他者になることであり、他者に自分が変身することです。

 そしてそれは、自分を一人の相手として対象にできることを意味します。自己が像として把握されるのです。

 ごっこあそびが出来ない子どもがいます。ごっこあそびが出来ないということは、自己と他者を一人ひとりの中の一人として受け止められないことを意味するのですね。

 自分を像として対象化されるようになる構造は、自分のことを「ぼく」「わたし」と呼ぶ過程にあらわれます。

 また、はにかみや恥じらい、あるいは誇示などの感情の持ち方にも現れます。
それまでは、人前で平気で踊ったりしていましたが、この頃になると「見られている」ということを意識してストレートには踊らなくなります。自分の姿を気にするからです。

 自分のできることを「見てくれ」とばかりに見せつけて,ほめてもらいたがる傾向も出てきます。これも自己の像に対する価値づけ=評価の現われです。

がまんの構造
 がまんができるようになるのは、一人の自分の意志に対して、もう一人の自分の意志を抑え抑制できる構造の形成です。

 本来のがまんができるためには、多様な自己、切り替え、移行、統一がしっかりできなくてはなりません。

 そのためには、様々な立場の自己を実現させる過程がまずなければなりません。多彩な自己の立場の主張―実現のプロセスがあって、その後ようやく統一の構造が実現できるからです。それが4歳半ごろです。怪我をしてぐっとがまんできるようになるのも4歳半を過ぎてからです。

3歳児の反抗
 自分の思い描く様々な自己像を実現しようとして、そういう多彩な自己を主張し始めます。こういう子どもの意図に対して、親の方から「あぶない」とか「きたない」とか言って禁止をかけると、親の意志と子どもの意志がぶつかって抗争がおこります。親から見ると反抗しているというふうに見られます。
 大人の手を自分の手から振りほどき、一人でドンドン歩いたり、まだ十分出来ないのに、洋服の着脱を自分でやりたがったり、一時期、他の子とあそばなくなって「一匹狼」になったりして、外との衝突が目に余るものになってきます。

 3歳児の反抗は、多彩な自己の主張であり、そのことを通して「がまん」というもう一人の自己を抑えることができることにつながっていくのでしょうか。

 カール・ケーニッヒは、これは自我の誕生する時なのではなく、自我の誕生の結果、危機の時がやってきたのだといいます。この反抗期に見られるのは高次の自我ではなくその死ですと。ここで登場してくるのが低次の自我で、これは生涯を通して私たちに付きまとうと述べておられます。

 この時、大人が子どもにどのように対応するかが問われてくると思います。子どもの思いを深く理解しようとせず、権威と罰を振りかざしていうことをきかせるようなことをすれば、自分を主張することをあきらめてしまったり、お母さんの前だけいうことをきく子になります。逆に子どもの言いなりになってしまうと、自分の主張を抑えることを学べず、がまんするということも学べません。

 でも実際の子育ての場では、どちらかになってしまうのですよね。子どもの主張を理解しようとしても、この時期の子どもは言葉で十分伝えることが出来ないので何を言いたいのかわからない時がたくさんあります。それでついつい、余裕のないときは権威を振りかざしてしまいます。また、子どもの反抗にあったとき、どうしていいかわからないお母さんもよく見かけます。おろおろしてしまって、結局は子どもの言いなりになってしまうのです。

 大きくなっても、がまんすることが出来ない、すぐカッとなる、自分の思い通りにならないとすねるなどの状態が続いてしまう子どもたちが増えています。

 カール・ケーニッヒは、大切なのは手助けとお手本と、やさしい指導と自然に出てくる寛容さですと述べておられます。

 これはなかなか難しい。大人の側に精神的な安定と余裕が必要です。お母さん一人に子育てを任してしまうのではなく、この時期からは特に、お父さんや、おじいちゃん、おばあちゃん、保育園の保母士や幼稚園の先生の暖かい見守りが欲しいですね。

物語ること
 2歳半~3歳ごろになると、長めのお話ができるようになります。

 共同性に気づくということは、いくつもの意志、いくつもの立場に気づくということであり、そうした多くの意志に気づくことは、意志同士を関係付ける構造に気づくことです。

物語るとは
 自分が語り手になるということです。語り手になるということは、自分が誰かの立場に立って、あたかも物事を見聞きしたかのように受け止めることです。
 3歳になるとお話を聞くのが好きになり、また、お話しするのが好きになります。お話とは、ある立場の話であることがわかるようになるからです。

 シュタイナー幼稚園では、毎日必ずお話の時間があります。いろんな人の意志、いろんな人の立場を体験することは、共同性に気づいていくことにつながるのですね。今の大人にとっても、様々な立場の人の気持ちを理解することは課題になっています。幼い時に、お話を語って聞かせることの大切さを思います。特に、昔話には、生きるための知恵や深い叡智が含まれているといいます。別の機会にじっくり学びたいと思っています。
 
2歳半~3歳ごろの嘘
お話をすることは、いろんな虚実に充ちた立場に立つことであり、いきおい、そこでは本当の話と嘘の話が入り乱れます。自分が行きもしない遊園地に行ったと話したりします。それは、他の人の体験がいつの間にか自分の経験と混同してしまうからです。嘘を言っているのではなく、他人と自分の体験を十分に区別できないからです。

ひとりごと
 村瀬氏は、子どもの独り言は、まさに子どもが共同性(社会性)に目覚める構造の中でしか出現しえないものだと述べておられます。独り言は本質的に共同性を含んでいると。独り言は社会性が退化したものではないと言います。言葉は、決してコミュニケーションの手段だけでなく自己表現の手段でもあります。
 子どもが独り言を言っているときは、様々な立場、様々な意志を行ったり来たりしながら自分の物語を想像しているのです。

配列=空間の発見
 2歳には2つが分り、3歳には3つが分ります。2歳半~4歳半までの子どもの数の観念は、せいぜい3つまでです。

 この頃の子どもは、意味は分らないまま、まるごと覚えることができます。数を100まで数えられてもそれは丸暗記に過ぎません。漢字をたくさん覚えたり、万国旗や世界の国々の名前を覚えるという子どもを、天才児と言われることがありますが、その中身は、ただ配列としての決められた規則を丸暗記しているに過ぎません。大人は、自己確定の入らない配列的なものだけに集中して付き合うことには苦痛ですが、子どもたちは苦痛どころか一種の楽しみにすらなっています。

 早くから、漢字や数字など様々なことを覚えさせる塾や幼児教育の場を見聞きしますが、ただ丸暗記しているだけなのだということを理解したいですね。

配列的なものとして、時間も構成されてきます。
時間の観念がしっかりとできてくるのは、4歳半を過ぎてからです。それ以前は、時間はまったくの飛び飛びの配列でしかありませんでした。3歳ごろに2ヶ月、3ヶ月前ごろのことをふいに言ったりすることがありますが、それは時間的な過去を思い出しているのではなく、場所的な、配置的な、空間的なものとして思い出しているに過ぎません。

 時間的なものの使われ方は、共同性に対する自己の位置づけがはっきり意識されることによってはじめて成立してくるものです。
 ある出来事が過去のことであり、それは現在のことではないというような時間性の区別は、現在を意識することができなければなりません。それは自己統一の構造がしっかり成立していないかぎり望めないことです。

身体像の分化
 自己が意志として現れると、同時に像としても現れるようになります。
これは自分の身体を漠然とひとまとめに捉えていた時期から次第に頭、手、足、胴体に分かれていることを意識できるようになったことを意味します。

 たとえば、2歳半を過ぎると、衣服の着替えが一人で出来るようになります。シャツに頭や手をどう通したらすっぽりかぶれるようになるか見当がついてきます。これは、自分の手足の像がつかめてくるからです。言い換えると、自分の体(手足)が自分の意志にそって使えるものとして対象化されてきたことを意味します。

村瀬氏は、この身体像の把握を身体図式の獲得と呼びました。

身体図式は、狭い意味で身体像だということになります。
身体像は、また、狭い意味で自己像でもあります。ごっこ遊びでお母さんになったりするのは、そうなりたいと思っている自己像が対応しています。

 身体像とともに形成される身体図式は同時に運動図式としても形成されます。

運動図式とは、
1歳半~2歳半では、
 しっかり歩ける、よく走れる、つま先で歩く、リズムに合わせて手足を動かす、高いところから飛び降りる、両足でとぶ、ものにぶら下がるなど。

2歳半~4歳半では、
 三輪車に乗ってこぐ、ブランコに立ち乗りする、はさみを上手に使う、衣服の着脱がひとりでできる、二人で相撲がとれる、こぼさないで食べられる、一人でトイレに行ける、一人で体を洗う、片足でケンケンできる、でんぐり返しができるなど。
 これらは、姿勢の維持から運動獲得へと移行している過程です。

 これらは、自分の実現すべき運動についての像をもっていること、もう一つは身体の各部の動きが分化していること。この二つが重なることによって、身体図式が細かく意識されるのです。

 理解の遅れる子どもが、いつまでも両足とびが出来ないのは、身体機能に問題があるのではなく、身体図式の細かい意識づけがいまひとつ成立しにくいところからきています。

 身体の各部分が分化して意識されると身体のそれぞれの各部分の感覚が敏感になってきます。
 手や足の身体の各部分が分化して意識されるとおしっこの感覚やウンコの感覚が自覚できるようになります。また、食べ物の好き嫌いが出てきたりするのも味覚の分化、過敏化です。

 トイレトレーニングを早い時期からすることは、その子の発達を助け、自立を促すのだという考えに長い間しばられてきました。オムツの洗濯も大変だったこともあるのですが。最近は紙おむつの出現で手間がはぶけ、早く、早くということが少なくなってきましたが…。
保育園では、生活習慣の自立という目標を掲げ、1歳を過ぎた頃から、オマルに一日に何度も座らせるということをしてきた経験があります。早くからトイレトレーニングをしても、体の各部分の意識がはっきりし、おしっこやウンコの感覚がわかるようにならないとだめだったんですね。
# by higuchi1108 | 2006-10-03 20:51 | 子どもの心の成長